介護

認知症の人は何でも知っている-前と同じ、同じ人なんです-

40数年以上前の認知症の方は居場所がありませんでした。

なったら、納屋に入れられたり、まだ家のそばなら良いですが、
捨てられるに近い方もいました。
あるいは、今のように介護施設もないので、
精神病院へ入れられたりもしたそうです。

いずれにしても、人権無視というか、人としての扱いではありません。

自分の親が、認知症になったとき、
そういうことができないと思うのが普通です。

しかし、いざ、認知症の人と接すると
脳が破壊されるのか、いつもと違うので、
拒否反応になるし、
言ってることが意味不明でどうしようもなくなってきます。

ですから、十数年前のようなことはしないにしても「
お会いに行かなくなったり、、話ししなくなったり、
現実は、避けるようになってしまいます。

日本で、認知症になった方が
10名以下のグループホームに入り、
自分のことは自分でしている、認知症の方がいいるのです

ウソではありません、
イキイキと、本当に、自分たちは生きている!!
と主張しているのです。
素敵な笑顔を振りまき、生き生き生活している。

施設にいる方は、
その人らしく生きる、生きることの手伝いをしているだけです。

これは危ないからダメなど制約そこにはありません。

私は、大好きな叔父が認知症になりました。
自宅で、叔母が面倒を見ていました。
言っていることは頓珍漢なのですが、
叔母は話を聞いてます。
認知症でないときと同じようにいしてました。

叔父は、相手に伝えるの面倒なので
言わなくなったり、言えないんだな。

上手く伝えられませんが、
認知症になった人は、
理解力も行動力も持っているという事。

それの反応が通常の人より遅いだけ。

40数年以上前の認知症の方には、 居場所がありませんでした。 

なったら、納屋に入れられたり、まだ家のそばなら良いですが、
捨てられるに近い方もいました。 
あるいは、今のように介護施設もないので、 
精神病院へ入れられたりもしたそうです。 

いずれにしても、
人権無視というか、人としての扱いではありません。
 
自分の親が、認知症になったとき、
そういうことができないと思うのが普通です。 

しかし、いざ、認知症の人と接すると 
脳が破壊されるのか、いつもと違うので、 
拒否反応になるし、 
言ってることが意味不明でどうしようもなくなってきます。 

ですから、十数年前のようなことはしないにしても
会いに行かなくなったり、話ししなくなったり、
現実は、避けるようになってしまいます。 

日本で、
10名以下のグループホームに入り、 
自分のことは自分でしている、認知症の方がいるのです。

ウソではありません。
イキイキと、本当に、自分たちは生きている!! 
と主張しているのです。

素敵な笑顔を振りまき、生き生き生活している。

そこの施設にいる方は、 
その人らしく生きる、 
生きることの手伝いをしているだけです。 
これは危ないからダメなどの制約もなければ 
代わりに やってあげることもありません。 

私は、大好きな叔父が認知症になりました。
自宅で、叔母が面倒を見ていました。 
言っていることは頓珍漢なのですが、 
叔母は話を聞いてます。
認知症でないときと同じようにしてました。 

叔父は、 相手に伝えるの面倒なので
言わなくなったり、 言えないだけなのです。 

上手く伝えられませんが、 
認知症になった人は、 理解力も行動力も持っているという事。 
その反応が通常の人より遅いだけ。 
タイミングが合わないだけなんです。 

でも、うまくいかないと 
恥ずかしいのか面倒なのか 
何度もしたくないんですね、きっと。 

せっかちになっている私たちは 
辛抱が足りないのかもしれません。 
本当に好きだったら我慢できるでしょう。 
のんびり行きましょう。 

認知症になった叔父は、
なる前と同じように 日々のウォーキングを欠かしません。 
一緒に何度か歩きましたが 一生懸命歩きます。 
そして、こっちをこういくんだ、 と教えてくれます。 

こんなこともありました。 
私の叔父も、膀胱がんの後、 
認知症となり歳のせいもあり 肺がんになりました。 
医者から、余命3か月と言われたと 叔母から連絡を貰いました。 

もっと長生きしてほいしい!! 
ダメもとでもなんでも ○○を飲んでほしいと、
叔父のところへすぐ飛んでいきました。 

認知症もありますし、
「わけのわからない物は、飲まない!!」
と 拒絶されてしまう不安しかありませんでした。 

ところが、叔母に説明しているそばから、
「それはなんだ?」
 いつもの認知症の叔父と違い 
昔のように興味津々で、
「そうか、それでよくなるのか?」 
肺がんのことを聞いてもぴんと来ない叔父が、 
きちんと反応してるのです。 

一生懸命面倒を見てくれている(これもわかっているのです、きっと) 
愛する叔母のためにも 長生きするんだ! 
と思ったに違いないのです。 

そうすると、普段見られない 
信じがたい力を発揮する スーパー叔父に成り代わりました。
本当に驚きました。 

繰り返しになりますが、 
認知症の方は、 何もかもわかっているのです。 
応答が思うようにいかないだけなんです。 

私の叔母のように、 
前と変わらず愛情もって接することです。
 
人間は、自立していたいのです。 
風呂に入れてもらうのを嫌がるのは
恥ずかしいだけでなく できると思っているからなのです。 

きっとできます。
出来ない箇所だけ、 
ほんのちょっとだけお手伝いして上げるだけでよいのです。 
そうだと、 抵抗なく素直に受けいれます。 

最初にあげたグループホームにいる 
認知症の方々もそうですが 
自立へそっと手を差し伸べる 
それが一番なのです。 

すると満面の笑みで イキイキした元気な姿が見られます。

のんびり行きましょう。
認知症になったからと言って 人格が変わるわけはありません。 
同じ人なのですから。 

最後まで読んでくださり 
ありがとうございました。 

きしまる

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