第二の脚の可能性
日本では介護イコール寝たきり老人のお世話というイメージがあります。
介護する方はシモの世話から食事の介助と甲斐甲斐しく働きまわるイメージがあります。
ベットで寝ている老人を起こすことも負担で腰を痛めるという話もよく聞きます。
しかし世界では足が不自由になっても、しっかりと身支を整え車椅子で自分の自由を謳歌する老人は結構いるのです。
介護されている身だからと遠慮したり、控えめになりがちな日本のシニアのイメージはそこにありません。
みんな体の自由はなくなりつつも、その条件下で好きなことを楽しんでいるのです。
自分もお世話になる身でありながらペットを飼ってみたり、恋愛も楽しんでいます。
なかなかそうはいかない人でも音楽を聴くこと、絵を描いたり鑑賞したりして芸術を楽しんでいるのです。
何故この様な違いがでてくるのか?
やはり、介護のテーマとして下問題は大きいとされている様に、
下問題は世話をする側もされる側もメンタルにそれなりにダメージはあります。
それは、人間としての尊厳があるからです。
海外では車椅子で一人でトイレも散歩も可能なのです。
車椅子の活用で自立した生活が可能なのです。
車椅子=特別なものではなく日本でも第二の脚として選択肢として考えてみるのも良いかもしれません。
若い頃と同じ様に自分の脚でもう一度立ちたいという希望を捨てられない気持ちも分かります。
ですが、欧米では車椅子でご自身の行きたい場所に行き、やりたい事を可能な限り楽しむシニアも一般化しています。
日本でも車椅子を利用している若者は自分で自分の事がある程度できるのに、
車椅子シニアになると急に介添え、介護が必要というイメージがありますが、
車椅子に慣れれば年を取っても諦めなければ付ききり介護なくとも自分でできる
範囲を広げる可能性はいくらでもあります。
ぜひ第二の脚で楽しめる事を模索していきましょう。